Saturday, January 21, 2006

w信じること

信じるということには
常に現実に抗しつつという面がある
しかし其れは現実に目を瞑り盲目的ということではない
信じるとは、聖句のアブラハムのように
現実をしっかり見つめつつ
同時に見えないものに目を注ぐということ
このバランスが大切だ
信仰の父アブラハムは現実に目を奪われ失望してしまう悲観論者でもなく
目を瞑って現実から逃避する楽観論者でもない
およそ百歳となってアブラハム自身の身体が死んだ状態であり
サラの胎が不妊であるのを認めながらも
なお彼の信仰は弱らなかった
彼は神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず
かえって信仰によって強められ
栄光を神に帰し
神はその約束されたことを
また成就することができると確信した
弦楽器の弦が両方の支点にしっかりと結ばれピーンと張った
調律された状態で最高の音色を出すように
信仰も現実と見えないものの両方に目を注ぐ関係にあるとき最も健全な音色を出す
健全な信仰は祈りに現れる
祈りは逃避ではなく、克服である
祈りは困難な状況から逃れるカラクリではなく
困難な状況に直面させ、取り組ませ、それを克服するように助けるもの
祈りは状況を変えるより我々を変えるように働きかける
祈っても状況は以前と変わらないかもしれない
しかしその状況に取り組むに必要な新しい力が与えられる
祈りは神が我々のために何かをなさることではなく
我々が自分でやれるように助けて下さることだろう
神は我々が自分でやれることを我々に代わってやるようなことはなさらない
祈りは簡単な逃げ道ではない
子供の宿題を親が子供に代わってやってしまう方が簡単だが
賢明な親ならそれは子供のためにならないことを知っている
真に子供を助けるなら
子供が自分でできるように指導し励ます
人生は一種のハードル競技のコースを走るようなものだ
祈りによって人生を走るコースからハードルが取り除かれることはない
しかしハードルを飛び越せる力が与えられる
久々のミサが
わたしを少し引き上げた

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